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フクロウラボを長く続く会社にしたい。清水翔さんに聞く、社長になるまでの道のり

フクロウラボの代表取締役である清水翔(しみず・しょう)さん。フクロウラボを立ち上げ、今に至るまでの道のりには、どのような出会いと転機があったのでしょうか。ご自身のキャリアについて、改めてお話しいただきました。

「僕も起業できるのでは?」
起業のきっかけになった出会い

──今回は改めて、清水さんのこれまでのキャリアなどを聞いてみたいと思います。フクロウラボを設立するまでには、会社ではたらいていた時期もあったそうですね。印象に残っていることはありますか?

大学卒業後いくつかの会社ではたらき、フリーランスを経てフクロウラボを起業しました。中でも印象に残っているのは、株式会社アトランティスではたらいたことです。そこで創業者の木村新司(きむら・しんじ)さんと出会い、「起業家」という生き物を知りました。スタートアップを身近に感じたのもこの時で、同僚の多くが起業家の道を歩んでいます。

当時の僕には起業したいという気持ちはありませんでした。けれど、木村さんや起業を志す同僚を間近で見るうちに、そのカッコいい生き方に憧れを抱き、「僕もできるのではないか?」と思うようになりました。後にフクロウラボを起業するきっかけになったのは、この時の経験です。

──木村さんにはフクロウラボを立ち上げる時にもアドバイスを受けたと聞きました。木村さんのどんなところに影響を受けたのでしょう?

実は、木村さんには「ちょっとこわくて、何を考えているのかよーわからない人だなあ」という印象を持っていました。けれど、一方で経営者として見習うべき姿勢をたくさん見せてくれました。特に影響を受けたのは、基本を守りぬくこと。起業家というと、アイデアの奇抜さや発想力がフォーカスされがちです。しかし、木村さんは、売り手と買い手、社会にとって良いビジネスをする「三方よし」の考え方、時間を守ることや、KPIの管理などの基本を大切にしていました。その思考や経営者としてのありかたは、今の僕のコアになっています。

とりあえず、の気持ちで受けた初めての投資

──木村さんとの出会いから会社を起こすまでは、どのような道のりだったのでしょうか?

株式会社アトランティスを退職した後、フリーランスでアプリマーケティングの支援を行っていました。その後会社化し、フクロウラボになるわけですが、実を言うとその理由は個人のキャリアのリスクヘッジでした。アプリ広告のようにルールチェンジの多いジャンルで個人がやっていくには、市場やテクノロジーの変化などのリスクが伴います。それならば、会社にして大人数で取り組んだ方がリスクを減らせるのではないかと考えたのです。

また、僕の場合、フリーランスとしてのはたらき方は過去の能力や経験を切り売りするだけで、成長できているという実感や面白みに欠けると感じました。それならば「会社化したほうが楽しそう」と思ったのです。

──その後、はじめての出資を受けた時は、どんな気持ちだったのでしょうか。大きな環境の変化ですよね。

最初の出資は「とりあえず受けよう」という気軽なノリで決めました。もちろん、株式を渡すことのリスクや、その後に上場や売却を目指さなければいけないことは頭ではわかっていましたが、当時のスタートアップの勢いにほだされて、驚くほどカジュアルに出資を受けたのです。

それでも、投資家には恵まれました。フクロウラボのファーストインベスターである、インキュベイトファンドの村田祐介(むらた・ゆうすけ)さんには、まだ事業がゼロの状態からどんな事業にするかや、何をやっていくかを考えるところから手伝っていただきました。いつも僕の気持ちを尊重し、会社のために伴走してくださる頼もしい方で、その姿勢にとても影響を受けています。

とにかくやるしかない。意識が変わったきっかけ

──フクロウラボができてからこれまでの道のりは、全てが順風満帆ではなかったと想像します。その中で清水さんの転機となったできごとはありますか。

大きな意識の変化がふたつありました。ひとつめのは、現在の広告事業をスタートした時。事業が成長するにつれ会社の方向性が変わり、約半数の従業員が辞めてしまいました。会社にとっても僕自身にとっても苦しい時期で、逃げ出した時もありました。しかし、このままでは会社が潰れてしまう。「今はとにかくやるしかない」と意識を変え、気合いを入れました。そのとき一緒にいてくれたのが、若杉さんや有岡さんです。

──若杉さんは取締役CTOとして、有岡さんは執行役員として、現在もフクロウラボを支えてくださっていますね。

はい。実のところ、事業がうまく伸びなかったり、この二人や、当時から在籍してくれているメンバーの年収を上げられない年が2、3年続いたりしたこともありました。それでも僕の意思を尊重し、愛をもって寄り添ってくれた。苦しい時期を共に乗り越え、今も一緒にはたらいてくれていることに心から感謝しています。

上場を目指す決意をした理由

──もうひとつの転機は、いつだったのでしょうか。

上場を決意したタイミングです。出資を受けるからには売却か上場を目指すしかなく、どちらにもよい点と悪い点があります。売却を選べば、今よりも会社が自分の手から離れてしまう。上場を選べば、高い利益額の基準をずっとクリアしていかなければならない。それでも後者を選んだ理由は、50歳になっても社長としてはたらいていたいからです。

そして何よりも、ファーストキャリアとしてフクロウラボを選んでくれた新卒の社員たちと長く一緒にはたらきたい。そのために自分自身の手で会社を大きくしようと上場を決意しました。ロジックではなく、気持ちで売上目標を立て、会社を継続することを決め、もう一度意識を変えたのです。

──長く一緒にはたらきたいというのは、見方によってはスタートアップの創業者らしからぬ考えかもしれません。清水さんらしくて素敵だと思います。

たしかに、創業者が途中で辞めてしまうスタートアップは多くあります。しかし、自分が新卒社員だとしたら、社長には長く一緒にはたらき続けてほしいのではないでしょうか。会社にとって必要な選択として社長を辞めるのは問題ありませんが、自ら辞めるのは、なんだか違うかなあと感じています。

「社長として2040年まではたらき続ける」。そう決意してからは、従業員に対するメッセージを心からの言葉で伝えられるようになりました。いつか辞めてしまう中途半端な気持ちではなく、創業者として筋を通すと決意したからこそ、意思決定がより強いものになったのです。

会社運営の仕組みづくりとこれからの役割

──起業した時には個人のリスクヘッジが目的だったことを考えると、大きな心境の変化があったことがわかります。現在のモチベーションは、どういったところにあるのでしょうか?

プロダクトで価値を提供するよりも、会社経営という仕組みづくりに関心があります。フクロウラボを長く続く会社にしたい。だから、2040年まで社長としてはたらくことを宣言しました。

こうして自分のキャリアを改めて振り返ってみると、フクロウラボの社長という役割が、僕の人間性をも変化させてくれたように感じます。これまでは他人に対して興味がなかった僕が、会社の成長と共に従業員や組織により向き合えるようになり、人として成長することができました。

その道のりを見守りながら一緒に歩んできてくれた若杉さんや有岡さん、フクロウラボを選んでくれた従業員たち。そして、経営者としてのあり方を示してくれた木村さんや、会社のために伴走してくれた村田さん。支えてくださった人たちに恩返しをすることが、現在の僕のモチベーションです。

──長く続く会社を目指す上で、今後のフクロウラボで実現したいことは何でしょうか?

今の僕の役割は、新規事業を作り出すことです。フクロウラボが事業を作り続けられる会社だと証明するためにも、Circuit Xに次ぐ第二の柱となる事業を立ち上げたいですね。その領域として興味があるのは、クリエイターエコノミーをテーマにした事業。クリエイターをエンパワーメントできる事業を成功させたいと考えています。

(取材・写真:出川 光)

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