僕がフクロウラボで5年間エンジニアを続けてきた理由
文系の私にはエンジニアリングのことはわからないかな。そんな考えを壊してくれたのがフクロウラボのエンジニア、林田 朋也(はやしだ・ともや)さん。林田さんの手にかかればエンジニアリングや技術が哲学や美術に喩えられて彩りゆたかに語られていきます。そんな林田さんはフクロウラボ歴5年のベテラン。長く働き続けている理由を聞きました。
ベンチャーに入りたくて入ってみたら、
思ったよりしっかりした会社だった
——林田さんはフクロウラボのなかでもベテランだと伺いました。
2015年に入社したのでかれこれ5年になりますね。
——入社のきっかけはどんなことだったのでしょうか?
当時僕はネット系のある程度大きな会社に勤めていたんですが、清水さんがピッチイベントなどで発表した事業モデルが注目を浴びていたんです。そこで、僕がいた会社で誰か話を聞いてこれないかということになり、以前清水さんと縁があった僕に白羽の矢が立ちました。それで話すうちに誘ってもらって入社したという経緯ですね。
——当時は規模もまだ小さかったと思いますが、不安はありませんでしたか?
もともと当時ベンチャー企業で働いてみたいなと思っていたんです。なので、入社してみたら案外しっかりしていて驚いた記憶があります。
——当時の印象的な思い出などはありますか?
今でもフクロウラボの文化として受け継がれている「料理部」というみんなで料理をして食べるというイベントがあるのですが、あれは僕が入社した頃に自然に始まったものでしたね。今でこそシステマティックに運営されていますが、当時は「今日餃子食べる人!」なんて言って、自腹で材料を持ってくるようなアットホームなものでした。
いくつものフェーズを乗り越えて
5年間フクロウラボにいる理由
——5年間フクロウラボに勤め続けていると、いくつかフェーズのようなものを意識されると思うのですがいかがですか?
組織のフェーズは3つくらいあったなと思います。ひとつめが僕が入ったばかりの頃で、この時はフクロウラボにとって初めてのプロダクトができた創業期。その後、事業が拡大するとともにビジョン的な対立がでてきた時期もありました。売り上げは上がっていくけれどもっと社会的に意義のあることや大きな仕事をしたいという人が出てきた頃ですね。
それに対して、「辞めてしまう人がいてもこの事業でやっていく」と清水さんが宣言して迎えたのが起死回生した2つめの時期。ここから事業はさらに大きくなっていきましたが、昨年末からは売り上げの天井が見えてきて、3つ目のフェーズに突入したのではないかと思います。さらなる成長のために伸び率をあげるアクションを模索する時期ですね。
日本を代表する開発組織をつくりあげていきたい
——なるほど。そういう変遷があったのですね。さまざまなフェーズを経てもフクロウラボで働き続けている理由は何なのでしょう?
ゆくゆくは日本を代表する開発組織をつくりあげていきたいと思っているからですね。具体的には、いきいきと素晴らしい仕事を誇りを持ってできる開発組織にしたいというのが僕の目標です。そして、それって地道な積み重ねでしか実現できないことなんです。僕は美術が好きで、友人の中には70歳、80歳のアーティストもいます。彼らをみていると、長く続けることの意味や、自分がみている年月のスパンがまだまだ短いものなんだなと気づかされるんですよ。
——短期戦ではなく、積み上げでしかいい組織は作れないんですね。
そう思います。実際に個人でやっている美術の活動でも、やはり何年も続けることで潮流ができてくる。正しいと思うことを続けて積み上げていくことでいい開発組織を作っていきたいと思っています。
今、フクロウラボで働くことの意義
——最後に、ベテランの林田さんから見て今のフクロウラボで働くことの意義を教えてください。
僕が入った頃のフクロウラボは、ふと気を抜いたら潰れてしまうかもしれないという状態でした。でも幸い、今のフクロウラボそうではない。ワークライフバランスも安定している一方で大企業的な堅苦しさも少ない環境で新しい技術の導入などにチャレンジすることができるのは、エンジニアとして実りが多いと思います。エンジニアは、実際に何を導入したかの実績を問われることも多いですから、勉強しながら実績のともなうエンジニアになるには最適な環境ではないかと思います。この環境のなかで一緒に学習しあって、いいエンジニア組織を一緒に作っていける人が入ってきてくれたら嬉しいですね。
(写真・執筆:出川 光)